「このままで、いいのだろうか」
ふとした瞬間に、焦りや不安がよぎることがある。仕事の進め方、選ぼうとしている道、誰かとの関係。理由ははっきりしないのに、胸の奥が少しざわつく。
そういうとき、多くの人がまずすることは、その感覚を打ち消すことだ。「気のせいだ」「自分がこんなふうに感じるはずがない」「考えすぎだ」。湧いてきた焦りに、急いで蓋をする。そして、何事もなかったように、また前へ進もうとする。
打ち消したあとに、残るもの
私はこれまで、いろいろな人が悩みながら何かを選んでいく場面を、近くで見てきた。その中で、一つ気づいたことがある。本当は不安を感じているはずの人ほど、「自分がそんなことを感じるはずがない」と、その不安を打ち消してしまう。不安そのものより、不安を抱えている自分を認めることのほうが、こわいのかもしれない。
打ち消した後に残るのは、不思議な空白だ。その人はもう、「この方向で、いいのか」とは問わなくなる。代わりに「どうやって、この方向で進むか」だけを、一生懸命に考え始める。本心がまだ納得していないのに、進み方の工夫ばかりが積み上がっていく。やがて、なぜこんなに力が入るのか、なぜこんなに疲れるのかも、自分でよく分からなくなっていく。
進む道を変えるかどうか、今いる場所を続けるか手放すか、誰かとどう関わるか。そういう場面で、「どう進めるか」の段取りはとても緻密なのに、「そもそも、自分はこの方向に進みたいのか」という一番大事な問いだけが、一度も声に出されないまま残っていることがある。肝心の問いが、打ち消した焦りと一緒に、そっと脇へ追いやられてしまう。
頭ではもう決めたつもりでも、心のほうがまだ追いついていない。その小さな時差が、焦りや不安という形をとって、表に出てくる。だから、焦りを感じるということは、頭と心がずれていることに、自分で気づけているということでもある。
打ち消してしまう気持ちは、よく分かる。焦りや不安は、心地のいいものではない。感じていると認めた瞬間に、立ち止まらなければならない気がする。せっかく決めた道を、また一から考え直すことになりそうで怖い。だから私たちは、それを「なかったこと」にして、前に進もうとする。それは弱さではなく、進み続けるための、ささやかな防御なのだと思う。
焦りは、本心からの小さなサイン
ただ、ここで見方を一つだけ、変えてみたい。
焦りや不安は、消すべき雑音ではないのかもしれない。それはむしろ、自分の本心が送っている、小さなサインだ。「この方向は、少し違うかもしれない」「ここには、まだ見落としているものがあるかもしれない」。言葉になる前の、かすかな声。理屈より先に、心のほうが、何かを察していることがある。
そのサインを感じ取れるということは、自分の心の動きを、ちゃんと見られているということだ。心が何かを訴えていることに、気づけているということだ。これは欠点でも、弱さでもない。むしろ、自分を観察できている証拠なのだと、私は思う。
平然としている人が、いつも強いとはかぎらない。何も感じていないのではなく、感じないようにしているだけのこともある。サインに気づかないまま進める人より、ざわつきに気づけてしまう人のほうが、自分の内側との距離が近い。気づけることは、それ自体が、一つの静かな力だ。
打ち消すことと、受け止めること
打ち消すことと、受け止めることは、外から見ると似ている。どちらも、取り乱さずに前を向いているように見える。でも、内側はまるで違う。打ち消すのは、見ないふりをして通り過ぎること。受け止めるのは、ちゃんと見た上で、どうするかを自分で選べる場所に立っていること。同じ「冷静さ」でも、片方は逃げで、もう片方は強さなのだと思う。
誤解しないでほしいのは、焦りに気づいたからといって、すぐに今の道を変えなければいけない、ということではない。サインは「やめなさい」という命令ではなく、「一度だけ、確かめてみて」という合図にすぎない。確かめた上で、やっぱり同じ道を選ぶこともある。それでもいい。むしろ、一度きちんと向き合ってから選び直した道は、打ち消したまま進む道より、ずっと足取りが確かになる。
私自身は、自分の心の動きから逃げないようにして生きてきた。しんどさや焦りを「なかったこと」にせず、「今、自分はこう感じているな」と、一度ちゃんと受け止める。打ち消すのではなく、ただ、そこに置いておく。それだけで、感情との間に少し距離が生まれて、振り回される対象から、眺められる対象へと変わっていく。
もちろん、これは一度できれば終わり、というものでもない。私自身、気づかないうちに焦りを打ち消してしまっていることが、今でもある。大切なのは、打ち消してしまったことに後からでも気づいて、もう一度、その感覚を受け止め直せることだ。何度でも、やり直していい。
不思議なもので、「気づけた」と受け止めた瞬間に、焦りは少しだけ静かになることがある。消そうとすると暴れるのに、見てあげると落ち着く。感情は、無視されるよりも、気づかれたがっているのかもしれない。
気づけたなら、もう一歩前にいる
だから、焦りや不安がやってきたとき、まずはそれを打ち消さなくていい。何かをすぐに解決しようとしなくてもいい。「ああ、自分は今、焦っているな」「不安を感じているな」と、気づくだけでいい。
気づけたなら、あなたはもう、自分の本心と向き合う入口に立っている。そこから先は、その本心が本当は何を望んでいるのかを、急がず、ゆっくり探していけばいい。反対に、打ち消してしまえば、その入口にすら立てないまま、納得しきれない道を進むことになる。気づけたということは、それだけで、ちゃんと前に進んでいるということだ。
自分が今、何を感じているのかを知ること。それは特別な才能でも、強い人だけに許された技でもない。ただ、自分の生きやすさを少しずつ支えてくれる、静かな土台のようなものだ。焦りに気づけたあなたは、その土台に、もう一つ、石を積んでいる。
焦りを感じる自分を、責めなくていい。打ち消さなくていい。その焦りは、あなたが自分の心を、ちゃんと見られているという、確かなしるしなのだから。
多くの人が、自分の中に湧く小さなサインを打ち消さず、本心の声に耳を澄ませながら、自分が納得できる方向へ、少しずつ進んでいけるよう祈ります。
七色のもふもふ、にゃないろより。



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