自分を責めてしまうのは、しょうがない

自己理解

何かを成し遂げられなかった夜、ふと「自分は足りない」と感じる瞬間がある。同年代の誰かは進んでいて、自分は止まっているように見える。何かをやろうとしたのに、一日が終わってまた何もできなかった。そういう時、つい自分を責めてしまう。

しょうがない。

「自分を責めるのはやめましょう」と書いてある自己啓発記事は、世の中にあふれている。けれど、責めてしまう瞬間に「責めてはいけない」と上書きしようとすると、責めている自分まで責めることになって、二重に苦しくなる。

ここでは「責めない方法」を提案するつもりはない。自分を責めてしまうのは、SNSがここまで発展した現代では、構造的に そうなる方が自然 である。だからまず、責めてしまう自分を責めなくていい。

そのうえで、もしかすると 少しだけ楽になる かもしれない手がかりを共有したい。

SNS時代の焦燥感は、構造的に来る

スマホを開けば、誰かが何かを成し遂げている瞬間が目に入る。同年代の昇進、別業界の友人の起業、SNSで見かけた誰かの著作、TikTokでバズる若い人の早すぎる成功。

これらは断片的な「ハイライト」だ。日常の99%は映っていない。

でも、人間の脳は、目に入った情報を平均だと錯覚する性質を持っている。自分の周りには、達成している人ばかりがいるように見えてくる。実際には、同じくらいの数の「何もしていない人」「迷っている人」もいるのに、彼らはタイムラインに流れてこない。

その結果、自分の理想ラインが、実態より高い位置に設定される。理想と現実のギャップは、SNSが見せる偏ったサンプルによって人為的に拡大されている

このギャップが焦燥感を生む。「もっとやらなきゃ」「自分は遅れている」という感覚は、この構造からほぼ自動的に発生する。これは時代の特徴であって、個人の弱さではない。

数百人と話してきた中で、この感覚を全く持っていない人には、ほとんど出会わなかった。一見、焦燥感などないように振る舞っている人もいたが、よく聞くと、自覚しないようにしているだけのことが多かった。

ここに一つ、見落とされやすい構造がある。自覚していない人は、強いのではない。自分の弱さや不安と向き合うのが怖くて、自覚を遠ざけているだけだ。

その意味では、「自分は焦っている」「自分は不安だ」と自覚できている人の方が、自己と向き合うという面では一歩前にいる。焦りを感じることそのものが、自分を観察できている証拠だからだ。

違っていたのは、感じる強さと、感じた後の扱い方だけだった。

自己否定に深入りすると、苦しい

焦燥感そのものは、無くしようがない。これは認めたい。

ただ、焦燥感を起点にして「自分はダメだ」「自分には価値がない」「自分は終わっている」と内側に広げていくと、別の痛みが生まれる。焦燥感は来る、過ぎる、また来る。それだけなら時間と共に消える。けれど自己否定のスパイラルは、自分で自分を傷つけ続ける構造を作る。

ここに分岐点がある。

焦燥感が来た時、それを「情報による反応」として受け止められる人と、「自分の本質を映す鏡」として受け止めてしまう人がいる。前者は次の瞬間には別のことを考えている。後者は数日、数週間、その感覚を引きずる。

この差は、能力でも性格でもなく、焦燥感をどう解釈するかの習慣に依存している。

私が持っている手がかり

正直に書く。

私自身、この焦燥感とは無縁ではない。例えば最近、AIの発展のスピードに対して、自分が「ここまでは使えるようになっておきたい」と感じるラインがある。実際の自分の達成度は、そのラインよりずっと下にある。スマホを開けば、AIを完璧に使いこなしている人の発信が目に入る。

正直、焦る。

それでも、自己否定のスパイラルには深く入らない。私の中に、いつでも戻れる場所があるからだ。

私の核:第一信条に戻る

私の人生の第一信条は「幸せに生きる」だ。これがすべての判断の起点になる。

AIを完璧に使いこなしている自分と、使いこなしていない自分。そのどちらが幸せかと問えば、ほとんど関係ないと気づく。AI活用は手段で、幸せは目的だ。手段の達成度で目的を測ると、永遠に足りない。目的の方を見ると、すでに到達している。

焦燥感が来た時、私はこの問いに戻る。「これが達成されないと、私は不幸せになるのか?」と。多くの場合、答えは「いいえ」だ。それだけで、焦りの大半は和らぐ。

補助的に使う2つの確認

第一信条への立ち返りだけでは弱い時、補助的に使う2つの確認がある。

周りを見る — SNSでは「取り組んでいる人」だけが目立つが、現実の半径数メートルでは、誰もまだ本格的に動いていない。サンプルをSNSから物理空間に置き直すと、遅れの感覚が消える。

客観視する — 「今、何かが致命的に詰まっているか?」と問うと、ほとんどの場合、答えは「いいえ」だ。焦燥感の中身は、想像上の危機であることが多い。

これらは「治る」ための方法ではない。焦燥感の波が来た時、自己否定のスパイラルに深入りしないための、軽いブレーキにすぎない。それでも、これがあるとないとでは、その後の数日が全く違う。

結び

焦燥感は、消えなくていい。 自分を責めてしまうのは、しょうがない。 それを抱えながら、それでも生きていける。

私が見てきた中で、楽に生きている人ほど、自分を責めない方法を知っているわけではなかった。責めてしまう自分とうまく付き合っている人だった。

もし今、何かのことで自分を責めている人がこれを読んでいるとしたら——あなたが感じているそれは、SNS時代の構造の中で、ほぼ全員が感じているものだ。あなたの弱さじゃない。

完全に消す必要はない。少し楽になれば、それで十分。

多くの人が、自分の中の焦燥感と良い関係を結べるよう祈ります。

七色のもふもふ、にゃないろより。

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