無理していないのに、疲れる夜に

認知

特に無理をした覚えはないのに、夜になると、どっと疲れている。

そんな日はないだろうか。

仕事量が多かったわけでも、体を動かしたわけでもない。なのに、帰り道や寝る前になると、エネルギーが残っていない。原因が見当たらないから、「これくらいで疲れるなんて」と、自分の体力や心の弱さを疑ってしまう。

でも、その疲れにはちゃんと理由があると、私は思っている。

心は、見えない仕事をしている

人といる時間、心は静かに働き続けている。

相手の表情を読む。声の調子の変化に気づく。自分の一言がどう受け取られたかを確かめる。次に何を言うかを、相手の様子から逆算する。

どれも、意識してやっているわけではない。自然に、勝手に、動いている。だから「働いた」のうちに数えられない。でも、エネルギーは確実に使われている

立っているだけでも、姿勢を保つために筋肉は働き続けているという。意識していなくても、体は仕事をしている。心も同じだ。誰かを気にかけている時間、心はずっと、見えない仕事をしている

無理をしていないのに疲れるのは、怠けでも、弱さでもない。見えない仕事を、していたからだ。

その仕事が、止まらなくなる相手がいる

この見えない仕事は、誰に対しても同じ量ではない。

よく観察すると、ある特定の相手の前でだけ、極端に増えていることがある

それは親かもしれない。職場の誰かかもしれない。あるいは、もっと近しい人かもしれない。

その相手の前では、観察が止まらない。表情、声色、ため息、沈黙。すべてが「この人は今、どう感じているか」を推し量るための材料になる。見ているものはたくさんあるようで、実はひとつ。その人の機嫌、ただひとつを、ずっと見張っている

しかも、この仕事は顔を合わせている時間だけでは終わらない。会う予定が近づくだけで、もう始まっている。離れて暮らしていても、頭の中でその人の反応を想像してしまう。そばにいない時間まで、仕事は続いている

機嫌を損ねたら何が起きるか分からない相手ほど、この観察は止まらなくなる。だからこれは、性格の弱さではない。相手の気持ちを察する力が、その相手の前でだけ、過剰に働き続けている状態なのだと、私は見ている。

察する力そのものは、何も悪くない。むしろ、人を支えられる力だ。ただ、特定の相手の前では、その力に「切る」スイッチがなくなる。力が強い人ほど、消耗も大きくなる。

程度の差はあれど、こうして気を遣う相手は、多くの人にいるのだと思う。私も、何もしていないはずの日の夕方に、ぐったりしている自分の正体が、長いあいだ分からなかった。

名前が付くと、距離が生まれる

この疲れに、名前を付けてみてほしい。「見えない仕事」でも、「気にかけ仕事」でも、自分にしっくりくる言葉でいい。

名前を付けても、状況は何も変わらない。相手も変わらないし、明日も同じ一日が来るかもしれない。

それでも、名前が付いた疲れは、名前のない疲れより、ずっと扱いやすい

「なんでこんなに疲れているんだろう」が、「今日は見えない仕事をたくさんしたんだな」に変わる。原因不明の消耗が、働いた結果に変わる。自分の弱さを疑う必要が、なくなる。

そして名前が付くと、疲れと自分のあいだに、少しだけ隙間ができる。ぴったり貼り付いていたものを、半歩離れて眺められるようになる。疲れは消えなくても、疲れに飲み込まれなくはなる。

もちろん、その相手との関係をこれからどうしていくかは、もっと大きな話だ。距離を取ることが、いつか必要になる相手もいるかもしれない。でも、それは今夜決めることじゃない。今夜のぶんは、名前を付けるだけで十分だ。

今夜は、その仕事を降りていい

ここまで読んでくれたあなたは、たぶん、人の気持ちがよく見えてしまう人だと思う。

見えてしまうから、気にかけてしまう。気にかけてしまうから、疲れる。それは欠陥ではなく、あなたの優しさと察する力が、ちゃんと働いている証拠だ

ただ、どんな仕事にも、終業の時間がある。

今夜はもう、誰の機嫌も見張らなくていい。誰がどう感じているかを、推し量らなくていい。あなたの今日の、見えない仕事は、もう終わっている

多くの人が、名前のなかった疲れに名前を付けて、誰の機嫌も見張らない夜を、安心して過ごせるよう祈ります。

七色のもふもふ、にゃないろより。

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